都築 克幸|KATSUYUKI TSUZUKI
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Pickup News
【都築克幸】CREATIVE2『FIRST-PITCH』掲載 | 2021/12/15 |
【都築克幸】CREATIVE2『FULL-COUNT』掲載 | 2021/12/03 |
【都築克幸】グラッドキューブ『SPAIA』掲載取材掲載 | 2021/02/04 |
【都築克幸】ベースボール・マガジン『夏の甲子園』取材掲載 | 2021/01/18 |
【都築克幸】水島新司作『あぶさん』76巻 出演 | 2002/09/30 |
Players History
Profile
都築 克幸
KATSUYUKI TSUZUKI
生年月日 | 1983年8月18日 |
出身地 | 東京都 |
スポーツ | 野球 |
東京都品川区出身。
小学3年生の時点で50m走は8.2秒を記録し、当時より非凡さを存分に発揮していた。
日大三高時代は、主に1番打者として活躍。
2001年夏、西東京大会で打率.706を記録。日大三高黄金期の1番打者としてチームを牽引。
同年の第83回全国高等学校野球選手権大会では、夏の甲子園史上3位となる大会通算16安打、打率.571を記録する。
強力打線の核弾頭として優勝に貢献し、「安打製造機」の異名を取った。
同大会後、AAAアジア野球選手権代表に選出され、高校日本代表の副主将として活躍。
1番打者としてチームを準優勝に導いた。
2001年度ドラフト会議で、中日ドラゴンズから6位指名を受けて入団。
チームメイトの内田和也(ヤクルト4位)、近藤一樹(近鉄7位)、千葉英貴(横浜6位)らも指名を受け、史上最多タイの「同年、同校からのドラフト指名」となった。
2002年、ルーキーイヤーは2軍で打率.298のハイアベレージで活躍し、周囲から注目された。
翌2003年、内野(二塁)から外野にコンバートし、ファームのレギュラーとして活躍。
2004年、落合博満監督の就任に伴い出番が減少するも、打率.296、本塁打4本を記録し、首脳陣に持ち前の打撃力をアピールした。
同年のウエスタン優勝決定戦では、1番打者としてスタメン出場。
2005年、春季キャンプを一軍で迎え、オープン戦出場を足掛かりに、開幕一軍へ向けて躍進したが昇格とはならず、オフに戦力外通告を受け退団。
退団後、元中日の先輩・江藤省三が監督兼GMを務める社会人野球クラブチームの横浜ベイブルース(当時の神奈川BBトリニティーズ)に入団。その後、数年を経て退団。
現在は、前田幸長が会長を務める中学ボーイズ野球チーム・都筑中央ボーイズで監督を務めながら、前田幸長のチョコチャンネルで準レギュラーとして配信に貢献。
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