占部 大輔|DAISUKE URABE

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2021年1月18日 No Comments Management

Pickup News

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Players History

広陵高校時代
関西大学時代
エクスポズ時代

Profile

占部 大輔
DAISUKE URABE

生年月日1996年1月17日
出身地広島県
スポーツ野球

広島県福山市出身。

2003年、町内会の小学生ソフトボールチームに入団。
2005年、ソフトボールのクラブチームに入団するも、キャッチボールができず先輩からイジメを受ける。しかし、家族との努力が実を結び、翌2006年にはレギュラーに定着。
2007年、福山市のソフトボール選抜チームに捕手として選出され、全国大会に出場。

2008年、中学軟式のクラブチームに入団。
入団直後、元広島・黒田博樹氏への憧れから投手に転向。
2009年冬、オーバーワークから右肘を剥離骨折し、選手生命を脅かす怪我に見舞われる。
2010年9月、癌で祖父を亡くす。県内中堅私立2校から誘いを受けるも、亡くなった祖父の「広陵に行け」という遺言を守り、進路を決める。祖父の葬式の日は、当時、広陵高校硬式野球部の入部条件だった「オープンスクール参加」の実施日だったため、親族に後押しされオープンスクールへ向かった。

2011年、広陵高校硬式野球部へ入部。
2013年、チームは春のセンバツ甲子園出場を果たすも、自身は当落線上の戦いに敗れベンチ入りを逃す。
同年夏の県予選前には、ラストチャンスとして臨んだ試合で、スクイズをウエストしたボールがバックネット上段に突き刺さる大暴投となる。その1球で高校最後の夏は終わりを告げた。当時のチームメイトからは「バックネット ガッシャーン!!」と名付けられ、珍伝説として今も語り継がれている。

2014年、関西大学硬式野球部へ入部。
入部直後のキャンプでアキレス腱を不全損傷し、全治1ヶ月の松葉杖生活でスタートを切る。
同年の夏、遅れを取り戻そうと練習に打ち込むも、肩の炎症で約1ヶ月戦線を離脱する。
2015年、投球時に高校最後の1球がフラッシュバックするようになり、イップスの兆候が見え始める。
2016年、OP戦での登板機会が増え始めた矢先、交通事故で夏から秋にかけてのシーズンを棒に振る。
2017年、イップスが発症。サイドスローに転向するなど試行錯誤するも解決の糸口は見つからず、結局公式戦に登板することなく大学野球を終える。

2018年、関西独立リーグ・和歌山ファイティングバーズから指名されるも、イップスを理由に辞退する。自己最速の球速146km/hを記録していた。

その後、社会人になってからは「野球とは離れよう」と決めるが、両親から「もう一度、野球をしている姿を観たい」と懇願され、元巨人のウォーレン・クロマティが主宰するモントリオール・エクスポズ(軟式選抜チーム)のトライアウトを受験。
投手兼捕手として合格し、キャプテンを務め、精神的支柱としてチームに貢献した。

2021年1月18日、Sports Bond Production を創業。

2021年1月17日、ログイン社・包帯パンツアンバサダーに就任。

現在は、プロアスリートの芸能マネジメントを行うと同時にスポーツインストラクターとしても活動中。また、自身もアスリートとしてメディア出演をするなど、幅広く活動している。

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