都築 克幸|KATSUYUKI TSUZUKI

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2021年2月3日 1 Comment Management

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Players History

日大三高時代
中日ドラゴンズ時代
都筑中央ボーイズ 小学部監督時代

Profile

都築 克幸
KATSUYUKI TSUZUKI

生年月日1983年8月18日
出身地東京都
スポーツ野球

東京都品川区出身。

小学3年生の時点で50m走は8.2秒を記録し、当時より非凡さを存分に発揮していた。

日大三高時代は、主に1番打者として活躍。
2001年夏、西東京大会で打率.706を記録。日大三高黄金期の1番打者としてチームを牽引。
同年の第83回全国高等学校野球選手権大会では、夏の甲子園史上3位となる大会通算16安打、打率.571を記録する。
強力打線の核弾頭として優勝に貢献し、「安打製造機」の異名を取った。

同大会後、AAAアジア野球選手権代表に選出され、高校日本代表の副主将として活躍。
1番打者としてチームを準優勝に導いた。

2001年度ドラフト会議で、中日ドラゴンズから6位指名を受けて入団。
チームメイトの内田和也(ヤクルト4位)、近藤一樹(近鉄7位)、千葉英貴(横浜6位)らも指名を受け、史上最多タイの「同年、同校からのドラフト指名」となった。

2002年、ルーキーイヤーは2軍で打率.298のハイアベレージで活躍し、周囲から注目された。
翌2003年、内野(二塁)から外野にコンバートし、ファームのレギュラーとして活躍。

2004年、落合博満監督の就任に伴い出番が減少するも、打率.296、本塁打4本を記録し、首脳陣に持ち前の打撃力をアピールした。
同年のウエスタン優勝決定戦では、1番打者としてスタメン出場。

2005年、春季キャンプを一軍で迎え、オープン戦出場を足掛かりに、開幕一軍へ向けて躍進したが昇格とはならず、オフに戦力外通告を受け退団。

退団後、元中日の先輩・江藤省三が監督兼GMを務める社会人野球クラブチームの横浜ベイブルース(当時の神奈川BBトリニティーズ)に入団。その後、数年を経て退団。

現在は、前田幸長が会長を務める中学ボーイズ野球チーム・都筑中央ボーイズで監督を務めながら、前田幸長のチョコチャンネルで準レギュラーとして配信に貢献。

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